奄美民謡歌手の元ちとせさんが話題になっています。
元ちとせさんは、アリオラジャパン・オフィスオーガスタに所属しています。
本記事では、
- 元ちとせの実家はどこ?
- 元ちとせの母親は大島紬の機織りの職人だった?
- Q&A
などをまとめていきます。
元ちとせの実家はどこ?

元ちとせさんの実家は、鹿児島県奄美大島南部にあるようです。
また、瀬戸内町嘉徳の集落で育ちました。
生まれたのは奄美大島最南部の町・瀬戸内町。美しい海と山とに囲まれた、小さな集落(シマ)だった。
引用元:【WEBマガジン】 シマが育んだ奄美の歌姫、元ちとせ。歌で繋ぎ、伝え、愛していく。 | あまみの
小学校の全校生徒は4人で、小さい頃は畑を走り回っていたそうです。
休みの日には父親と山や川に行き、イノシシやヤギを狩り自宅でさばいていました。
小学校の全校生徒は4人だけという小さな集落で生まれ育ちました。自然が多く、幼いころは畑を走り
まわっていました。田舎なので、自分たちが暮らしている所で命をいただくという生活。父とは山に行った
り川に行ったり。山にわなを仕掛けて、イノシシやヤギを狩る。それを家でさばいていました。
引用元:歌手・元ちとせさん 島唄、始めたきっかけは母 – 日本経済新聞
元ちとせさんは歌手として活動していますが、現在では結婚して2人の子供と奄美大島で生活しています。

地元が大好きなんだね。
元ちとせの母親は大島紬の機織りの職人だった?


元ちとせさんの母親は、大島紬の機織りの仕事や給食センターで働いていました。
元ちとせさんが小学5年生の時には、母親の勧めで三味線を始めたそうです。
母は奄美大島の特産品・大島紬の機織りを仕事としていて、その間のBGMは「シマ唄」。
「週1回、公民館講座で三味線講座があるよ。行く?」と親から誘われたのが小学5年生。
引用元:【WEBマガジン】 シマが育んだ奄美の歌姫、元ちとせ。歌で繋ぎ、伝え、愛していく。 | あまみの
しかし、母親はかなり厳しい人でこれまで褒められたことがないと話していました。
中学生の時から歌手として活動していましたが、「調子に乗るな」と言われていたそうです。
「母は『激鬼母』ですね。一度も嫌いになったことはないけれど、とにかく褒めない。
今まで歌ってきて2回しか褒められたことはないです。高校の時の新人賞と大会で優勝した時だけですね。
調子に乗るな、といつも言われています。
引用元:歌手・元ちとせさん 島唄、始めたきっかけは母 – 日本経済新聞



高校卒業後は美容師を目指していたんだね。
Q&A





鹿児島県立古仁屋高等学校を卒業しているんだね。


まとめ
今回は元ちとせさんについてまとめました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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